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東京高等裁判所 平成6年(う)381号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中六〇〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人提出の控訴趣意書及び「控訴趣意補充書その1」と題する書面、弁護人和久田修及び舟木友比古が連名で提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官遠藤英嗣提出の答弁書に各記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第一  不法に公訴棄却の判決をしなかったとの主張について

所論は、要するに、原判決は本件各公訴提起がいずれも適法であるとしているが、昭和六二年一一月二一日の被告人に対する公務執行妨害を理由とする現行犯逮捕は捜査機関が捏造した被疑事実による違法なものであるから、右逮捕に伴って押収された旅券(原審検察官請求証拠番号甲二二三、以下括弧内の番号は原審証拠等関係カードの検察官(甲、乙)及び弁護人(弁)請求証拠番号を示す。)、右旅券を手がかりとして判明した一般旅券発給申請書などの写真撮影報告書(甲二二六)等は違法収集証拠として証拠能力が否定されるべきであり、このような違法逮捕に基づく身柄拘束とこれを利用した違法収集証拠による立証を前提とした本件各公訴提起手続は重大な違法を帯び無効であって、刑訴法三七八条二号、三三八条四号によりこれをいずれも棄却すべきである、というのである。

しかしながら、かりに当初の公務執行妨害を被疑事実とする現行犯逮捕手続等が違法であっても直ちに本件各公訴の提起が違法となるものとは解されないが、右現行犯逮捕手続の事実関係を検討すると、原判決が「争点に対する判断」第二の一2公訴棄却の申立の項で認定するところは関係証拠によって優に認定することができ、その判断も正当であって、本件現行犯逮捕手続等に所論のいうような違法な点は認められず、本件各公訴の提起は適法有効である。以下、若干補足する。

一  原武勇及び本田稔(三通)の裁判官面前調書抄本、三森貫一、塚谷司及び同松苗栄昭の原審公判供述等関係証拠によれば、以下の事実が認められる。

1  警視庁公安部公安一課所属の松苗昭栄巡査部長は、昭和六二年一一月二一日午後九時ころ、同課の部屋で交換台を通して外線電話を受けたところ、匿名の四〇歳前後の男の声で「過激派の大物が成田発午後八時五〇分のリムジンバスに乗って箱崎に向かった。その男は爆弾を持っている。」など、その男の人相着衣等をも指摘する通報を受けたので、直ちにこれを上司の三森貫一警部に報告した。三森は、同課所属の原武勇警部補、本田稔巡査部長、塚谷司巡査外一名に対し、原判示の日本橋箱崎町所在の東京シティ・エア・ターミナルに行き、該当する男を発見して職務質問を実施し、爆弾を所持していれば検挙するように指示した。

2  原武ら四名は、直ちに出発し、午後九時四〇分ころ同ターミナルに到着し、通報のあったリムジンバスが未到着であったので、乗車してきた捜査車両に一名を残し、原武、本田及び塚谷の三名が、同ターミナル一階の手荷物引渡所前エスカレーター付近で該当する男を発見するべく配置についた。午後一〇時過ぎころ、指示された男によく似た者(後日、被告人甲野太郎と判明した。以下「被告人」という。)がエスカレーターを降りてきたので、動静を注視していると、被告人は、手荷物引渡所で三個の荷物を受け取り、それをカートに乗せて同所を出て、二か所の公衆電話機から電話をかけたりしていたが、その間あたりを見回したり後ろを振り向いたり周囲を警戒するような不審な行動をとった。原武は、被告人がタクシー乗り場に向かうのを見て、午後一〇時四〇分ころ本田及び塚谷に対し被告人を職務質問するように指示し、自分は他にも該当する男が来るかもしれないのでその場にとどまった。

3  塚谷は、同ターミナルビルを出た付近で、被告人を呼び止めて警察手帳を示し、「警察の者ですが、ちょっとご協力ください。」と言って、被告人を同ビル北東角にある久松警察署警備分室の角を左に曲がったところまで案内し、本田とともに被告人に対する職務質問を開始した。まず、身分を証明するものの提示を求めると、被告人が丙山次郎名義の旅券を提示したので、これを受け取り、旅券に貼付してある写真を見ると被告人の写真であった。また、人定事項について尋ねると、氏名と生年月日については旅券記載のとおり答えたが、本籍と住所については番地を正確に答えることができなかった。次に、被告人の同意を得て、カートに積んだ荷物三個の中身を順次検査したところ、爆弾様のものは発見されなかったが、茶色鞄の中に入っていた小型の旅行用バッグの中に戸籍謄本、住民票の写し、国民健康保険被保険者証の写しがあったので、その住民票の写しにあった前住所について尋ねると、被告人は中野区以下の町名等を答えることができず、なおも尋ねると、「中野ですよ。いいじゃないですか。」などと言って本田の左肩を右手で押すようにした。さらに、戸籍謄本には「沖繩県中頭郡〈番地省略〉」と記載されているが旅券中の所持人記入欄の本籍の記載には町名がなかったので、これについて尋ねると、被告人は答えなかった。引き続き、同バッグに入っていた封筒内から一万円札で二〇〇万円ほどと千ドル紙幣等数か国の多額紙幣が出てきたので、その出所を尋ねると、被告人は、「外国でもらった。」と答えたものの具体的な名前を明らかにせず、本田がなおも追及していると、しゃがんでいた被告人が、「身元がしっかりしているのに、いいじゃないか。」と言って、立ち上がりざま中腰になっている本田の顎の右下に頭突きを加えたために、本田はその場に尻もちをついた。

4  そこで、塚谷が直ちに被告人の右腕を両手で掴み、その場に来合わせた原武が公務執行妨害の現行犯で逮捕する旨を告げ、午後一一時一八分ころ被告人を現行犯逮捕し、旅券、戸籍謄本、住民票の写し及び国民健康保険被保険者証の写しを差し押さえた。

以上の諸事実が認められ、これらの事実によれば、右現行犯逮捕手続は、そこにいたる過程を含め適法であるというべきである。

右認定に反する被告人の原審並びに当審供述及び被告人の裁判官面前調書中の記載(弁九)は、関係証拠に照らして、到底信用できない。

二  所論は、「三森、原武らの供述は信用できず、原武らは『過激派の大物』の逮捕を指示されて被告人に対する公務執行妨害容疑を捏造したのである。このことは、〈1〉そもそも匿名通報が警視庁の交換台から公安一課に回ることはないし、かりに匿名通報があり三森らがその内容を真実であると信用していたならば、先ず爆弾処理のため応援を頼んだはずであり、これをしなかったのは、匿名通報などはなく、同人らにおいて爆弾が存在しないことを当初から知っていたからであり、〈2〉三森の原審供述のように、爆弾の所持と設置では危険性の程度に差異があり、犯人が所持している場合は爆発の危険性が高くないからその処理のための特別の措置を講じなかったというのは不自然であり、〈3〉原武らがリムジンバスが到着する三階には張り込まず、手荷物引渡所のある一階だけに張り込んだとする状況も不自然であり、〈4〉被告人が頭突きしたとの点も、職務質問に対し旅券の記載事項を回答できないとか所持金の子細を説明しないからといって直ちに逮捕されるおそれはないから、被告人が逮捕を招きかねない頭突きという挑発行為に出る必要はなく、また三森らの供述する頭突きの体勢も不自然不合理である、などから合理的に疑われるのであり、結局、被告人の供述するとおり公務執行妨害の事実は存在しない。」と主張する。

しかしながら、所論にかかわらず、原武らの前掲各供述は、いずれも具体的、詳細で臨場性に富み、かつ相互に符合、補強しておりその信用性は高いものと認められる。所論の〈1〉及び〈2〉については、三森、原武、本田、塚谷及び松苗は匿名による爆弾に関する通報があったことを一致して供述し、なお本田は当時年間一五〇件程度の爆弾に関する匿名通報があったとも供述しており、匿名通報が交換台から公安一課に回ることはないとの所論は根拠のないものである。そして、爆弾に関する匿名通報があれば、警察としては何をおいてもまず現場に赴き事実を確認するのであって、本件の場合は、時間もないために、三森が居合わせた課員のうち松苗を除く原武ら四名を東京シティ・エア・ターミナルに向かわせたものであること、爆弾の所持と設置とでは爆発の具体的危険性の程度に差異があり、犯人が爆弾を身辺に置いている所持の場合には爆発の危険性が高くないことから直ちに爆弾処理のための措置をとることはせず、ただ現場で爆弾様のものが発見されれば直ちに連絡を取って爆発物処理班が来て処理することで足りることからすれば、匿名通報の内容が爆弾の所持にかかるものであり、かつ現場において爆弾が発見されなかった本件において、警察が通報直後に、爆弾処理のための手配をせず、かつ現場で爆弾処理のための応援を求めなかったとしても、所論のいうように不自然ということはできない。〈3〉については、原武は同ターミナルの係員からリムジンバスは三階に到着するが一階の手荷物引渡所にほとんどの乗客が大きなバッグを受け取りに来ると聞いて同所前で配置についたものであるが、この措置は、海外からの帰国者の多くが大きな荷物を持ち同所で荷物を受け取るばかりか、荷物を預けていない者も三階から順次エスカレーターで一階に降りてきて、同所を経由して乗り継ぎのバス乗り場やタクシー乗り場等に向かうであろうこと、配置につく者が原武ら三名という少人数であって分散して配置につくことは不適当であったことなどからみて、合理的なものというべきである。さらに〈4〉については、被告人は所持品検査時、書類を渡す手が震え、住民票写しの前住所の町名以下を尋ねられると本田の左肩を手で押す仕種を繰り返し、また所持金の出所を具体的に尋ねられると頭部に汗をかいていたことが認められるのであり、職務質問を平穏裡に終了させたいという気持ちに反し警察官に不審を抱かれたとの焦りから心理的に追込まれ、一瞬抑制心を失って本件頭突き行為に及んだと推認できることであって、不合理とはいえない。その頭突きの体勢についても、本田の供述によれば、中腰の状態で被告人に対しバッグ内にあった現金の出所について質問している本田に対し、その右斜め前方にしゃがんでいた被告人が右内ポケット内から旅券を取り出しつつ、上目使いに本田を見て「身元がはっきりしているのに、いいじゃないか。」と言って、立ち上がりざま被告人の頭頂部を、五〇センチほど間隔があった本田の右顎下に突き出したというのであって、このような両者の体勢から被告人が頭突きすることは十分可能であって不自然とはいえない。

これに対し、被告人の供述(裁判官面前調書、弁九)をみると、最初弁護人の尋問に対しては、「タクシー乗り場付近で警察官に呼び止められ身分証明の提示を求められて丙山次郎名義の旅券を提示し、次に所持品検査の前に再度旅券の提示を求められて本籍を含む人定事項を尋ねられて答え相手も一応納得したようだった。所持品検査の過程で取り出した戸籍謄本と住民票の写しについてはこれを所持している理由と父親の年齢等を聞かれて答えた」と供述していたところ、検察官から、本籍の地番を正確に答えられなかったために追及されなかったかと問われるや「その旅券に本籍の町か郡のどちらかが抜けていて、戸籍抄本を見られたときに、いや、そうじゃなくて、私が答えたら、何故旅券のほうは抜けているのかと聞かれた。」旨、はじめて旅券中の本籍に町名の記載がないことを尋ねられたことを供述し、尋ねられた時期についても、いったんは所持品検査途中に戸籍謄本と旅券の本籍の照合をしながらその食い違いを質問した旨の本田の供述に符合する発言をしながらこれを訂正していることなどからみて、直ちにこれを信用することはできないというべきである。

以上によれば、原武らが「過激派の大物」の逮捕を指示されて被告人に対する公務執行妨害容疑を捏造したとの所論は、根拠のない憶測に過ぎず、到底採用できない。

三  したがって、原判決には所論のいうような不法に公訴を棄却しなかった事実は認められず、所論は採用することができないのであって、論旨は理由がない。

第二  不法に免訴の判決をしなかったとの主張について

所論は、要するに、原判示第一及び第二の各事実について、原判決は刑訴法二五五条一項前段(公訴時効の停止)を適用して公訴時効が完成していないとしたが、本件は「犯人が国外にいる場合」に当たらないから、右各事実に同条項の適用はなく、かりに適用があるとしても、同条項の「犯人が国外にいる」ことの証明がないから、同法三八〇条、三三七条四号により免訴の判決をすべきである、と主張する。

しかしながら、この点に関して原判決が「争点に対する判断」第二の一1の免訴の申立の項において判示するところは正当であって、公訴時効は完成しておらず、所論は採用できない。以下、若干付言する。

一  (刑訴法二五五条一項前段の適用の有無)所論は、公訴時効制度の立法趣旨は証拠の散逸による誤判防止にあるところ、刑訴法二五五条一項前段の「犯人が国外にいる場合」をその文言どおり解するならば公訴時効の最長期間である一五年を超えてもなお時効が完成しない場合もあることになるが、いわゆるハイジャック犯についてはハイジャック防止に関する国際条約が締結されていて、航空機の登録国だけではなく到達地国にも裁判権があるなど国際的規制が確立していること、国際司法共助が整備されていることからすると、刑訴法二五五条一項前段の「犯人が国外にいる場合」は制限的に解釈すべきであり、原判示第一及び第二の事件について同条項を適用すべきではない、というものであり、原審段階と同じく、右の「犯人が国外にいる場合」には、右各事件のように犯人が犯行直後から国外にいることが明らかであるときを含まないと主張する趣旨と思われる。

しかしながら、右規定は、犯人が国外にいる場合には捜査及び裁判手続を進行させることが困難であることに着目して設けられたものと解されるところ、近時、航空機内で行われた犯罪その他ある種の行為に関する条約、航空機の不法な奪取の防止に関する条約、民間航空の安全に対する不法な行為に関する条約等が締結され、ハイジャックに対する国際的規制が次第に整備され、犯人引渡あるいは国際捜査共助等の国際司法共助が締約国間において実施できるようになったとはいえ、未だ未締約国や地域があり、ハイジャックの犯人が他国に潜伏して容易に検挙されていない状況であると認められるから、右規定を所論のいうように制限的に解すべき合理性があるとはいえない。所論は、近時の状況からすれば、犯人が国外にいる場合をことさら国内にいる場合と区別する必要はないとする趣旨と思われるが、そうであるならば犯人が犯行後国内から逃亡して国外にいる場合も右規定を適用すべきでないということにならざるを得ず、右規定を空文化するそのような解釈は到底採り得ないところであって、所論は採用し難い。

二  (被告人が「国外にいる」ことの証明の有無)次に、所論は、原判決は被告人が昭和四七年四月に出国したことと被告人が偽名で昭和六二年六月入国したことが立証されたからその間被告人が国外にいたと認定したが、それ以前の偽名による入国がないとの立証がされていないから証明不十分である、というのである。

しかしながら、関係証拠によれば、〈1〉被告人は本人名義で昭和四七年四月一三日羽田空港から出国したこと、〈2〉その後昭和六二年一〇月三一日現在まで被告人名義で帰国した者がいないこと、〈3〉昭和六二年六月二一日フィリピン国籍の「ALCANTARA BENJAMIN E」なる者が入国しているところ、同人が入国時提出した外国人入国記録から被告人の左拇指の指紋が検出されたことがそれぞれ認められ、なお、昭和四七年四月の出国後昭和六二年六月までの間、被告人の両親をはじめ国内で被告人と接触した者などの存在が窺われず、被告人が偽名で入国したことを窺わせる事情もないことからすれば、被告人が〈1〉の出国から〈3〉の入国までの間「外国にいた」と合理的に推認できるものというべきである。

以上のとおりであるから、原判決に、所論のいうような刑訴法二五五条一項前段の適用に関する誤りがあるとは認められず、論旨は理由がない。

第三  航空機の強取等の処罰に関する法律が憲法一四条、一九条に違反するとの主張について

所論は、航空機の強取等に関する法律は、昭和四五年に赤軍派の者が政治的亡命権の行使として実行した日航機ハイジャック闘争を契機として制定された法律で、政治思想犯を重く処罰し、弾圧を強化する治安法であり、憲法一四条、一九条に違反する、と主張する。 航空機の強取等の処罰に関する法律は、昭和四五年三月に発生した日航機よど号乗っ取り事件を契機としてハイジャック防止対策のために制定されたものではあるが、それ以前からハイジャック事犯の回数が急増しかつその手段も過激化したために、これを直接禁圧の対象とする具体的かつ実効性のある国際的規制の必要性が高まっていた国際情勢に沿うものである。そして、右制定の趣旨は、ハイジャックが、武装した複数犯人において乗客になりすまして航空機に乗り込み、警察による警備の及ばない航行中の航空機内で、武器を用い乗客乗務員に暴行脅迫を加えて人質として航空機を乗っ取り、犯人らの要求する目的地まで航空機を運航させるなどするものであって、乗客乗務員の生命身体に対する侵害、航空機等の財産に対する侵害及び交通の安全に対する侵害の危険性がきわめて高い犯罪行為であることから、この種事犯を引き起こした犯人に対しては厳しい処罰が相当であるということにあり、十分な合理性を有するものである。したがって、同法が特定の思想信条等を不当に制限する意図で制定されたということはできず、憲法一四条、一九条に違反するものではない。論旨は理由がない。

第四  ドバイ事件に関する事実誤認の主張について

所論は、要するに、原判決は、原判示第一のいわゆるドバイ事件の実行犯のうち日本人犯人が被告人であると認定したが、被告人は右日本人犯人ではなく無罪であるから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、関係証拠によれば、原判決が「争点に関する判断」第二の二1の項で所論に関し判示するところは優に肯認でき、被告人がこの日本人犯人であると認められるのであって、判決に所論のいうような事実の誤認があるとは認められない。以下、若干付加説明する。

一  関係証拠によれば、日本人犯人と被告人との同一性を除く犯行経過については、原判決が詳細に判示するとおりと認められる。その要点は、パリ発アムステルダム、アンカレッジ経由東京国際空港行きの日本航空株式会社(以下「日本航空」という。以下、略号については、原判決のそれと同じ。)定期旅客四〇四便旅客機が、乗務員二二名(デッドヘッドクルー二名を含む。)及び乗客一二三名(犯人五名を含む。)を搭乗させて、昭和四八年七月二〇日午後一一時三九分ころ(日本時間、現地時間同日午後三時三九分ころ。以下、同じ。)、オランダ王国アムステルダム所在のスキポール空港を離陸し、同日午後一一時五〇分(同日午後三時五〇分)過ぎころ北海上空のブルーベルインターセクション付近を飛行中、ファーストクラス二階ラウンジに搭乗していた犯人B(外国人、女性)が所持していた手りゅう弾が暴発して同女が死亡したことを契機として、同女の夫と称して同席していた犯人A(外国人、男性)が操縦室に乱入し、操縦士らに所携の拳銃を突き付けて脅迫し、航空機関士の前額部を拳銃で殴打する暴行を加えるなどして、「この飛行機は完全に我々が支配した。」と機内放送したところ、これに呼応して一階客席にいた犯人C(外国人、男性)、D(外国人、男性)、E(日本人、男性)が拳銃、手りゅう弾を示して乗客に「座れ。動くな。手を上げろ。」と怒号して脅迫するなどし、全乗務員及び乗客の抵抗を不能にし、機長らに犯人の命ずるままに同機を航行するのやむなきにいたらしめ、犯人達は、自らを「被占領地域の息子たちと日本赤軍」と称し、機長らに同機の針路を変更させて、その後も同様の暴行脅迫を繰り返し、「ドアに爆弾を仕掛ける。危ないから近付くな。」などと機内放送して威嚇し、同月二一日午前七時一〇分ころ(同日午前二時一〇分ころ)同機をアラブ首長国連邦ドバイ所在のドバイ国際空港に着陸させ、駐機中の同機内でも同様に抵抗を不能にし続け、その間、前記手りゅう弾の暴発により負傷した乗員一名及び乗客二名を降機させたが、機長らに命じて、同月二四日午前五時五分ころ(同日午前零時五分ころ)乗務員二一名及び乗客一一六名(犯人を含まず。)を乗せたまま同空港を離陸、飛行させ、シリア・アラブ共和国ダマスカス国際空港に同日午前八時四五分ころ(同日午前二時四五分ころ)から同日午前一一時五八分ころ(同日午前五時五八分ころ)までの間燃料等の補給整備のため一時駐機させ、同日午後三時六分ころ(同日午前八時六分ころ)同機をリビア・アラブ共和国ベンガジ所在のベニナ国際空港に着陸させ、その後直ちに乗務員及び乗客は同機から脱出し、犯人らは同機を爆破してリビア・アラブ共和国に投降した、というものである。

二  そこで、進んで、日本人犯人(E)と被告人との同一性について検討すると、この点に関しては、大別して、乗務員及び乗客ら目撃者の日本人犯人についての供述証拠と右犯人がリビア・アラブ共和国に投降した後のその身元を推認させる証拠がある。

1  (目撃者らの供述)この犯行経過の間、日本人犯人は主に一階客室にいて、サングラスを掛けて、乗務員、乗客に対し暴行脅迫を加えるなどし、多くの乗務員、乗客に目撃されているところ、これら目撃者の供述の信用性について原判決が詳細に判示するところもおおむね正当と認められ、その要点は、以下のとおりである。

(1) 乗務員のうち機長であった小沼健二、副操縦士であった高木修、航空機関士であった浦野済次、パーサーであった長谷川淳、チーフパーサーであった宮下宜久及びスチュワードであった平賀鋭一の原審公判における証人としての供述(以下、右六名につき「供述」というのは、特に断らない限りこの趣旨である。)のうち、チーフパーサーの宮下及びスチュワードの平賀の供述については、その知覚や記憶の保持につき疑問があるので、これに日本人犯人が被告人であるという以上の意味を持たせるのは相当でない。

(2) しかし、乗務員のうち、機長の小沼、副操縦士の高木、航空機関士の浦野及びパーサーの長谷川の四名の日本人犯人に関する供述は、〈1〉個別に検討しても、各人が乗務員としてハイジャックという事態に比較的冷静に対応し、犯人達のうち一人しかいない日本人犯人と複数回接触し、同人を乗務員の立場から観察し、比較的至近距離からそのサングラスを外した素顔を確認するなどしており、知覚及び記憶の客観的な条件は良好であり、現に日本人犯人の特徴について具体的に供述していること、〈2〉その具体的に供述する日本人犯人の特徴が、いずれも、身長が一六〇センチメートルから一六五センチメートルくらいで体格が痩せていて、眉毛が濃く太くて目が大きく、顎がしゃくれていて顔が逆三角形であるということで共通しており、捜査段階で見せられた面割写真帳中の被告人の写真あるいは原審法廷で見た被告人に間違いない又は似ていると供述していることがそれぞれ明らかである。もっとも、これら供述と事件直後の検察官に対する供述調書中の供述とを対比すると、原審公判につき記憶の忘却あるいは変容が窺われる点や相互の供述に食い違う部分はあるものの、それは、一六年という歳月の経過あるいは犯行当時における各人の役割や関心の違いの差異に基づくと理解することが可能であり、食い違い等も細部についての若干のものに過ぎず、各人の供述の信用性を阻害するものではない。

(3) そのほかその者の司法警察員あるいは検察官に対する供述調書謄本が証拠として採用された四二名の乗客(日本人犯人に言及のない荒牧フサエ《甲四一〇》を除く。)中、サングラスを外した日本人犯人を見たのは谷平シゲ子(甲三九二)と小林義子(甲四〇〇)の二名だけで、他の者は日本人犯人の素顔を見ておらず、緊迫した状況下で両手を上げるように強制されていたなどその知覚及び記憶の条件は必ずしも良好とはいえないが、その大多数が事件直後の記憶の鮮明な時期において供述しており、かつ全員が被告人の顔写真を含む面割写真帳を示されて日本人犯人との同一性あるいは類似性を確認しているところ、どのような写真を示されたか不明の二名を除く四〇名の内訳をみると、写真帳に日本人犯人はいないとする者二名、被告人以外の別人を選んだ者一名、強いていえば被告人の写真が似ているとする者三名、被告人の写真が似ているとしつつも別人を選んだ者三名の合計九名もいるものの、それ以外の三一名(原判示は二九名としているが単純な誤記と認める。)が日本人犯人は被告人に似ている、一番似ている、そっくりである、間違いないなどと供述していて前記小沼ら乗務員四名の供述を補強している。

以上によれば、日本人犯人は被告人であると認定するのが相当である。

2  (所論)(1) 弁護人の所論は、日本人犯人と被告人の同一性について、〈1〉事件発生時と原審公判時とは相当の時間的隔たりがあるから通常人の認識ないし記憶ではカバーできず、目撃者の供述する日本人犯人と原審法廷にいる被告人の人相容貌との比較で解決することは誤りである、〈2〉事件発生時に可能な限り近い時点での被告人の容貌を示す写真(弁七及び弁八の写真)と各目撃者の供述から明らかになった日本人犯人の人相容貌の特徴を比較すべきであり、これを検討すれば、両者が符合しているとはいえないから、被告人は日本人犯人ではない、と主張する。

しかしながら、まず、〈1〉については、被告人の父親(乙三)は、被告人が現行犯逮捕された日から三日目の昭和六一年一一月二四日に、「写真(被告人の身柄拘束当時のもの)では分かりませんでしたが、今(面通しで被告人を)見まして、髪がなくなっているがニコッと笑った顔は太郎に間違いありません。全体にそんなに変わっておりませんが、顔が少しふっくらしています。髪がなくなっているため見た感じが変わったのかもしれません。……髪が薄くなったのを除けば、眉の太さ、鼻、目、口も同じです。」と供述し、母親(乙五)も同様の供述をしているのであり、このことからみても、日本人犯人との同一性を原審法廷にいる被告人の人相容貌との比較で解決することができないとするのは独断に過ぎないというべきである。むしろ、小沼らにとって、一六年余りを経過したとはいえ、ドバイ事件そのもの及びその日本人犯人が強烈な印象として残っていたことは同人らの供述から明らかであるところ、小沼は、原審法廷で被告人を見て、「被告人の目と眉毛と顎に日本人犯人の面影があるが、一六年前の日本人犯人の顔や姿との間にひどい違いがあるので、被告人が日本人犯人かどうかは分からない。しかし、日本人犯人の顔は今でもはっきり覚えている、それは平成元年六月一五日付捜査報告書(甲二八九)添付写真6番と10番の写真の男(被告人)である。」旨供述し、高木も、「同一人かどうかは本人しか分からないだろう。現在は太り気味だが日本人犯人に非常に似ているという印象を持っている。」旨供述し、浦野も、「眉毛、鼻、顎などの顔の印象は当時の印象のとおりで、十数年も経っているので白髪になっているが、そういう部分を除き歩き方も似ている。日本人犯人に間違いないと信じている。」旨供述し、長谷川も同様に「当時とは多少太ったのと髪の毛が大分薄くなっているのが違うが、濃い眉と顎の形、全体の印象から、被告人が日本人犯人であることは間違いないと思う。」旨供述している。そして、高木、浦野及び長谷川も事件直後に日本人犯人として被告人の写真を選んでいることが各供述から窺われるのであって、小沼らは、所論のいうように単に日本人犯人の記憶と原審法廷にいる被告人との同一性だけを検討しているのではなく、ドバイ事件当時の日本人犯人に関する記憶と原審法廷に現在する被告人の容貌や挙動、さらには事件発生に近い時期に写真撮影された被告人の容貌等とを照らし合わせ、各人の知覚力、記憶力及び表現力等の相違により供述内容に若干の差異があるものの、いずれも被告人が日本人犯人であると供述しているのである。また、〈2〉については、前記報告書(甲二八九)に添付された写真10(高校生のとき小豆島に行ったときに撮影された写真)、同写真6(昭和四七年四月被告人が日本を出国するときパスポートに貼付した写真)、弁七の写真(昭和四六年八月ころ撮影したとする写真)、弁八の写真(前記小豆島で同じ機会に撮影されたとする写真)のうち、いずれがドバイ事件当時の被告人の容貌に最も類似した写真かに関し、被告人、被告人の実妹のF及びGは、それぞれ当審において弁七の写真がそうである旨供述しているが、いずれも多分に主観的なものであり、客観的裏付けを欠くものであること、これら写真は眉、鼻、顎あるいは髪型が似ていて全体的な印象もよく似ているのであって、弁七や弁八の写真が乗務員や乗客の供述する日本人犯人の容貌と符合していないとする根拠のないこと、これら写真のうちでドバイ事件に一番接着して撮影されたのは前記写真6であるが、被告人の母親(乙四)はこの写真について「昭和四七年に外国に行く直前の『太郎の顔』に間違いありません。……親の口から言うのもおかしな話ですが、当時は眉も太く、目も大きないい男でした。……唇もキリリと結んだやや厚目の特徴ある形でした。」旨供述しているのであり、また、この写真を見せられた乗客達の多くは、日本人犯人に似ているが少し頬あるいは顎を痩せさせればそっくりであるなどとも供述しているのであって、乗務員や乗客が被告人と日本人犯人との同一性を判断するため写真6を用いることに支障があるとは認められず写真10についてもこれと異なって解すべき特段の事情はないこと、目撃者である乗務員及び乗客の誰も目にしていない弁七及び弁八の写真を原審における証人尋問をほぼ終了した被告人質問の段階で証拠申請して、両写真とこれを見ていない乗務員や乗客の供述する日本人犯人の特徴とを比較するということは適切な検討方法とは思われないことからすると、所論は採用できるものではない。

(2) 所論は、〈1〉日本人犯人は乗客との接触回数が多く、乗務員との接触の機会が多いとはいえないから、乗務員の供述がことさら信用できるとはいえないこと、〈2〉原審が信用できるとした乗務員の高木の供述は混同するはずがないドバイとダマスカスの状況を取り違えていることからみてその信用性は低いこと、〈3〉乗務員らはリビア到着後犯人像について協議したもので信用できないこと、〈4〉乗客四〇名のうち多くが日本人犯人と被告人が似ていると供述しているからといって、両者の同一性が多数決で決まるものではなく、他の乗客が同一性を否定していることに大きな意味があること、〈5〉乗客の描いた似顔絵は被告人とまったく似ていないこと、〈6〉原審証人の供述中には、日本人犯人の顎が尖っているというのではなく、顎がしゃくれているとするものがあるが、被告人の顎はしゃくれていないこと、などからみて、被告人は日本人犯人ではない、と主張する。

しかしながら、〈1〉については、単に日本人犯人を見掛けた回数の多寡ではなく、日本人犯人の容貌を明確に記憶できる状況にあったかが問題であり、相当の長時間、身近に素顔の日本人犯人と向き合うなどしている乗務員のほうが、二名を除く大多数がサングラスを掛けている日本人犯人しか見ていない乗客よりも知覚及び記憶についての客観状況が良好であったといい得るからこれら乗務員の供述を中心に検討する方法は相当である。〈2〉については、高木は、日本人犯人の素顔を見た時期について、ダマスカス国際空港離陸前の操縦室であったと記憶していると供述しているが、小沼や浦野の供述、小林義子(甲四〇〇)の供述、高木自身の供述から窺える同人の事件直後の検察官に対する供述調書中の記載などからすると、高木が日本人犯人の素顔を見たのはドバイ離陸前の操縦室と認められるところ、このような記憶の変容が起こったのは、高木がドバイ離陸時は慌ただしい雰囲気でドバイ離陸後に犯人側から希望の持てるようなメッセージが届いてから操縦室内の雰囲気が緩んだという印象が強いことから、サングラスを外した日本人犯人を見たのはこの緩んだ雰囲気の後の駐機中のほうが合理的だという思い込みによるものと推認できるのであって、このような記憶の変容が起こることが不可能あるいは不自然とはいえない。〈3〉についても、事件後のリビアのホテル内で、機長の小沼が、リビア政府に提出する報告書や会社に提出する機長報告書を作成するため乗務員に集まってもらい、客室内の状況等を聞いたことがあり、また乗務員や乗客が雑談で犯人像やニックネームなどを話したなどのことはあったと認められるが、ことさら協議した事実は認められない。さらに、〈4〉についても、乗客のうち被告人を含む面割写真帳を見て、被告人以外を選んだのは大滝信雄の一名、日本人犯人がいないとしたのは国井玄雄と国井かつの二名であるが、これらの者の供述をさらに子細にみると、大滝信雄(甲四〇七)は別人の写真を二葉似ているようだと選び、「私の聞くところでは一番の写真(被告人のパスポート写真)という人が多いが、写真は頬の丸みを帯びているところからして断定しかねる。」旨供述しており、他の乗客がこの写真より少し頬あるいは顎を痩せさせるとそっくりであると供述しているのと通ずるものがあり、国井かつ(甲三六五、三六六)は昭和四八年七月三〇日付司法警察員に対する調書(甲三六六)で被告人の写真を示されて「昨日取調べのとき見せられた写真では、日本人犯人を確認することができなかったが、この写真(大阪府警察本部警備部長発信、文書番号一二~二九九号、甲野太郎の電送写真)の表一枚目の左上の写真は日本人犯人に似ている。口許、歯揃びは日本人犯人にそっくりです。ただもう少し頬がこけ、顎が細く、年齢的にも写真よりいくらか年上のようだ。」旨供述しており、国井玄雄(甲三六四)も日本人犯人の特徴については「顔型はらっきょうの感じで、顎が細く、頬は張っていたので太った人が痩せたという感じでした。下口唇が出ている感じである。」旨他の乗客と同様の特徴を挙げたうえで、被告人のパスポート写真を含む写真の中に犯人はいないと述べているのであって、右三名を含む前記九名の供述が被告人と日本人犯人との同一性を肯定するについての絶対的な支障となるとまではいえないうえ、原判決は、所論のいうように多数決で同一性を判断しているのではなく、乗務員及び乗客の供述内容等を慎重に吟味してその信用性を判断しているのである。〈5〉の似顔絵については一部乗客が言及するだけであるが、これを日本人犯人の特徴を捕らえているという乗客国井玄雄(甲三六四)、似ているという乗務員浦野や乗客田辺金二、同青井正雄(甲三七一、三八七)もいる一方、外人犯人は似ているが日本人犯人は余り似ていないという乗客安藤恒雄(甲三六三)もおり、そのコピーと思われるもの(甲三八二の添付新聞記事)によっても、日本人犯人の特徴を捕らえた部分もあるが必ずしも全ての特徴を描き出したとまではいえないと認められ、いずれにせよ、これに重きを置くのは相当でない。〈6〉についても、顎が尖っているかしゃくれているかの間には厳密には相違があるが、それが所論のいうように重要な意味をもつとは到底解されず、日本人犯人が被告人であるとしている乗客が、日本人犯人について顎が上がっている(田辺金二、甲三七一)、顎が先端から突き出したように細い(中村吉直、甲四一一)あるいは頬がこけ落ちしゃくれ上がった感じ(中村かな子、甲四一二)と供述したり、「花王石けん」というあだ名を付けているのは、むしろ日本人犯人の特徴に関するほぼ共通の認識を比喩的に表現したものであるとともに、目撃者の多くが日本人犯人が面割写真帳に撮影されている被告人の顔や現在の被告人の顔より頬がこけていた旨供述していることとも通ずるものである。所論は理由がない。

(3) さらに被告人の所論は、〈1〉パスポート写真(前記報告書《甲二八九》に添付されている写真6)は修正されていて自然に撮影した実物写真とは全く違っているからドバイ事件当時の被告人の容貌に似ておらず、〈2〉被告人についてはドバイ事件の前年のテルアビブ空港乱射事件の第四の男として大々的に報道されていたから、乗務員や乗員の中に被告人の手配写真等を見ていた者がいたはずであるのに、日本人犯人が被告人であると直ちに気が付かなかったのは日本人犯人が被告人でないことの証左である、と主張する。しかし、〈1〉については、パスポート写真は、多少修正されていたとしても、被告人の母親(乙四)が、「パスポート写真は被告人の出国直前の太郎の顔に間違いありません。」旨供述していること、他の写真や現在の被告人と比較してもその同一性を疑わしめるほど相違しているとは到底認め難いことからすると、ドバイ事件当時の被告人の容貌と似ていないとはいえない。また、〈2〉については乗務員や乗客の中に被告人の手配写真を見た者がいたとしても、ハイジャックの日本人犯人がそのテルアビブ空港乱射事件の犯人とされる手配写真の被告人と直ちに結び付くものではないから、両者が同一であることに気が付かなかったことが被告人が犯人ではないことの証左であるということはできないのであって、所論は採用できない。

3  (リビア・アラブ共和国に投降した日本人犯人と被告人との同一性)関係証拠によれば、ドバイ事件発生後、捜査を開始した警視庁公安部は、日本の国際刑事警察機構(ICPO)の国家中央事務局(以下「東京事務局」という。)名下で、リビア・アラブ共和国のICPO国家中央事務局(以下「トリポリ事務局」という。)に対し、投降者の氏名等犯人の特定に関する諸事項を照会し、トリポリ事務局から昭和四八年八月七日付回答書が東京事務局に宛てて国際電報で寄せられている。そして、この回答書には、日本人犯人が、「氏名・TAROKOUNO(タロコウノ) 母親の名前・SHEIKO(シェイコ) 出生地・TOKSIMA(○○) 生年月日・○○・○○・一九××(一九××年○○月○○日) 勤務先・△△ MERCHANTS FIRM AT ××KO(××コの△△商店) KEYOTO SHE YOUGA MAJINKO・・JAPAN(日本・・ケヨト シーヨウガ マジンコ)」と供述していると記載されているところ、被告人の本籍及び出生地は「○○県」、生年月日は「昭和○年○月○日」、母親の名前は「花子」であること、被告人は昭和四七年に出国する前には「大阪市×区」の「△商店」に勤めていたことが認められ、これに前記回答書はアラビア語を母国語とするリビア当局の係官が日本人犯人から聞き取り、これを英文で記載したものであることなどを考慮すると、この回答書記載の日本人犯人は被告人であると認められる。

4  (所論)所論は、この国際電報による回答書には原本がなく、発信元が一般通信局であり、発信者の証明がないから、日本の捜査当局あるいは同局から依頼を受けた他国の情報機関が発信した可能性が大きく、スペリングの誤りなどは言語的相違からではなくこれら機関の演出であるなどと主張する。

しかしながら、〈1〉前記照会については、照会書の原本(決裁文書)は保管されていないが、警察庁警備局外事第二課内に保管されている英文のコピー三通(甲三二四ないし三二六)によれば、その表題部には、発信者として「INTERPOLJAPAN TOKYO」、宛先として「TO‥InterpolTripoli」というICPOの加盟国である日本及びリビアの国家中央事務局相互間の電報であることを示す電報宛名略語が記載されており、また「NR.J-NCB/487/73」、「NR.J-NCB/494/73」、「NR.J-NCB/496/73」という東京事務局の担当者以外使用しない略号と文書発信番号が記載されており、かつこの文書発信番号が右事務局に当たる警察庁国際刑事課の発信簿にも記載されていたことからすると、この照会書はトリポリ事務局宛に発信されたものと認められる。また〈2〉前記回答についても、一般電報として新橋国際電報電話局において受信されているが、その内容は日本及びリビアの国家中央事務局相互間の電報であることを示す前記電報宛名略語が記載されていて、日本側の発信時の発信番号も記載されていることのほか、日本の捜査当局がことさら被告人を日本人犯人に仕立て上げる理由を見い出し難いことからすると、トリポリ事務局以外の第三者によって発信された可能性はないというべきであり、所論は根拠のない憶測によるもので採用し難い。

三  以上、乗務員らの日本人犯人についての供述及びトリポリ事務局からの回答書によれば、日本人犯人が被告人であることは明らかで、原判決に所論のいうような事実の誤認は認められず、論旨は理由がない。

第五  ダッカ事件についての事実誤認の主張について

所論は、要するに、原判決は、原判示第二のいわゆるダッカ事件の実行犯のうちリーダー格の犯人が被告人であると認定したが、被告人は犯人ではなく無実であるから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、関係証拠によれば、原判決が「争点に関する判断」第二の二2の項で判示するところは優に肯認でき、被告人がこのリーダー格の犯人であると認められるのであって、原判決に所論のいうような事実の誤認があるとは認められない。以下、若干補足する。

一  リーダー格の犯人と被告人との同一性を除く犯行経過については、関係証拠によれば原判決が詳細に判示するとおりと認められる。その要点は、パリ発ボンベイ、バンコック等経由東京国際空港行きの日本航空四七二便が、乗務員一四名(デッドヘッドクルー四名を含む。)と乗客一四二名(犯人五名を含む。)を搭乗して、昭和五二年九月二八日午前一〇時二二分(同日午前六時五二分)ころインド国ボンベイ国際空港を離陸して十数分したころ、ハイジャック犯人らが拳銃や手りゅう弾を手にして客室前方に駆け寄り、客室乗務員及び乗客に対し「手を上げろ。顔を見るな。下を向け。動くな。」などと言って制圧し、操縦室の出入口ドアを乗務員に開けさせ、犯人三名くらいが操縦室にいた機長ら乗務員に拳銃を突き付けるなどして脅迫し、「我々は日本赤軍日高隊である。この飛行機は我々がハイジャックした。我々の指示に従ってもらいたい。従わない者は厳重に処罰する。」と客室に向けて放送し、全乗務員及び乗客の抵抗を不能にし、機長らに犯人の命ずるままに同機を航行するのやむなきにいたらしめ、犯人らは、五人でそれぞれを一〇番台、二〇番台、三〇番台、四〇番台、五〇番台の番号で呼んでいたが、二〇番台で呼ばれていたリーダー格の犯人(A)が、主に操縦室にいて機内の放送及び機外との交信等にあたり、同機の針路をバングラデッシュ人民共和国のダッカ方向に向かわせ、同日午後二時三一分(同日午前一一時三一分)同所所在のテジュガオ国際空港(以下「ダッカ空港」という。)に強制的に着陸させ、同機の乗降口に爆発物を設置し、「ドアに爆発物を設置した。危ないから近付かないように。」などと機内放送して威嚇し、駐機中も乗務員及び乗客の抵抗を不能にし続け、同機内から日本政府に対して、勾留中あるいは受刑中の者の釈放及び引渡し並びに六〇〇万米ドルの引渡しを要求し、承諾しなければ乗客を殺害すると通告するなどし、日本政府をして出国意思を表明した乙川三男ら六名の釈放引渡し及び六〇〇万米ドルの現金の引渡しを準備させ、同年一〇月二日午前〇時四〇分(同月一日午後九時四〇分)ころから釈放犯六名及び右現金と乗客五五名及び乗務員五名と交換するなどし、そのほかに解放した乗客及び乗務員を含めて合計一一八名を順次降機させたが、新たに交替要員として搭乗した乗務員三名に対しても拳銃を突き付けて脅迫してその抵抗を不能にし、機長らに命じて、同月三日午前〇時一三分(同月二日午後九時一三分)ころ乗務員七名(新搭乗三名を含む。)、乗客二九名(犯人五名及び釈放犯六名を除く。)を乗せたまま同空港を離陸、飛行させ、クウェイト国のクウェイト国際空港、シリア・アラブ共和国のダマスカス国際空港を経て、同日午後一一時一七分(同日午後四時一七分)ころアルジェリア民主人民共和国アルジェ所在のダル・エル・ベイダ空港に着陸し、途中で降機させなかった乗客一二名及び乗務員七名を残し、同機を降りて立ち去ったというものである。

二  さらに進んで、二〇番台で呼ばれていたリーダー格の犯人(A)と被告人との同一性について検討する。

1  リーダー格の犯人は、ほとんど操縦室内にいて、ハイジャック宣言の機内放送をしたり、管制塔との交渉などを担当したものであるが、同人の目撃に関する証拠として原判決がその信用性について判断しているものとして、デッドヘッドクルーとして当初客席に着席していた機長の澤田隆介、副操縦士の池上健一、パーサーの池末武史、アシスタントパーサーの斉藤修二、ダッカから搭乗した機長の桜庭邦悦の五名の原審公判における証人としての供述、デッドヘッドクルーとして当初客席に着席していたセカンドオフィサーの牟田幸雄、同じくセカンドオフィサーの竹下秀春、同じく副操縦士の上口外洋男の三名の乗務員、渡辺公徳、カレビアン・ウオルター、川上一男、マクリーン・ウィリアム・ドナルド及びジョン・ガブリエルの五名の乗客の司法警察員あるいは検察官に対する供述調書謄本がある(他に機長であった高橋重雄の検察官に対する供述調書謄本があることは後述のとおり。)。

そして、原判決がこれらの供述の内容及びその信用性について詳細に検討して判示しているところもおおむね正当と認められ、その要点は以下のとおりである。

(1) 澤田ら五名の乗務員のうち、桜庭の供述については後日の見聞により得た知識によりリーダー格の犯人の記憶をより被告人である方向に変容させている可能性があるので、その証拠価値は十分でない。

(2) しかし、他の四名の供述については、〈1〉個別に検討しても、ハイジャックという異常事態の中で比較的落ち着いて事態に対応し、解放されるまでの相当長時間の間に犯行状況や犯人の容貌等を強い印象をもって観察していたこと、リーダー格の犯人にもそれぞれ数回にわたり接触して比較的至近距離から顔の識別することのできる状況で目撃しており、右犯人の身体的特徴に関する供述内容も身長、体格、容貌等にわたりかなり具体的であること、〈2〉その供述するリーダー格の犯人の身体的特徴は、身長が一六〇センチメートルから一六五センチメートルくらい、痩せ型、顔が逆三角形で、眉毛が濃く、顎が尖っており、目が大きいなどの点で相互に一致しかつ整合していること、〈3〉特に、澤田については、数回客室から操縦室に行きリーダー格の犯人と交渉するなどするうちに、機長席の後部のオブザーバーシートに座っているリーダー格の犯人の左耳後ろの髪の生え際の近くにほくろがあるのに気付き、事件の最中に犯人達の特徴等を記載していた単行本の「燃えよ剣下巻」七五頁に後頭部の図面を描き、ほくろも記載しているところ、被告人には左耳の後ろ側のほぼ同位置にほくろがあることがそれぞれ明らかである。

(3) 牟田ら三名の乗務員及び渡辺ら五名の乗客の供述調書中の記載についてみると、川上とガブリエルはリーダー格の犯人と被告人の同一性を判断できないとしているが、他の六名は似ている又は間違いないとしており、そのうちドナルドについては目撃状況が不明であるということはあるものの、右六名の供述は、リーダー格の犯人の特徴として供述するところもほぼ一致していて澤田ら四名の前記供述を裏付けている。

なお、桜庭、川上、ガブリエルの各供述も積極的な証明力はもたないものの、リーダー格の犯人と被告人の同一性を否定するとか澤田らと矛盾する供述をしているわけではない。

(4) ほかに、原判決は触れていないが、機長であった高橋重雄は、検察官に対し、リーダー格の犯人について、顎が尖っているのが特徴である旨他の乗務員及び乗客と同旨の供述をしており、またリーダー格の犯人が乗客及び乗務員から提出させた旅券の整理をしているときにデッドヘッドクルーの牟田の旅券の写真を示しながら「これ牟田君でしょう。牟田君というのは若いと思ったら私と同じ年ですね。」と言ったと供述しているところ、牟田の年齢は昭和二六年五月九日生であって当時被告人と同じ二六歳であったことが明らかであり、これらも澤田らの供述を補強するというべきである。

(5) なお、前記釈放犯の一人であるGは、機内で犯人らと接触し、アルジェで犯人らとともに同機を降りたことが明らかであるが、同人の当審供述によれば、同機を降りてからは犯人らと行動を共にし、その後は日本赤軍に加わって活動を続け、犯人が誰であるかを具体的に知る立場にあったというものである。そして、Gは、当審においてリーダー格の犯人について、「身長は一六〇センチメートルから一六五センチメートルぐらいであり、痩せていた。容貌は、四角錐を逆さまにしてこれを側方から見たような感じで、鼻、顎を含め顔全体が尖ったきつい感じのはっきりした顔だちである。顔の形については、逆三角形といえば逆三角形であるし、『花王石けん』というのも、そういう感じだと思う」旨述べて、乗客及び乗員らの述べる右犯人の身長、体格、容貌とある程度符合するかのような供述をしているが、その一方で右犯人が被告人ではないことを断言できるとし、犯人と被告人との同一性を明確に否定している。

しかしながら、Gの供述内容をみると、リーダー格の犯人の特徴を右のとおり述べる一方、その話し方はまるで外国人が片言を述べるような非常にたどたどしいものであったとも述べ、この点では右犯人と言葉を交わすなどした乗務員らの述べる犯人像とは明らかに異なる趣旨の供述をしているうえ、右犯人の氏名を問われると正当な理由なくこれを述べようとしないのである。また、Gの法廷における言動からも窺われるように、Gと被告人は共に日本赤軍に属するいわゆる同志として、緊密な連帯意識に結ばれていること、また、Gは、かつて東アジア反日武装戦線に属しいわゆる連続企業爆破事件の犯人として起訴されその公判係属中に日本赤軍所属の本件ハイジャック犯からの前記釈放要求に基づいて身柄の拘束を解かれ、これにより同組織に所属して約一七年余にわたって行動の自由を保持し得たことなど同人と日本赤軍及び被告人との関係をも併せ考えると、リーダー格の犯人と被告人との同一性を否定するGの供述は、前記目撃者らの供述と対比し信用性に乏しいというべきである。

以上によれば、リーダー格の犯人は被告人であることが明らかというべきである。

2  (所論)(1) 弁護人の所論は、犯人の同一性の問題をハイジャック犯人の人相容貌と原審法廷にいる被告人のそれとの比較で解決するのは誤りであると主張しているが、この主張が理由のないことは前記第四の二2(1)と同様である。

(2) 被告人の所論は、〈1〉澤田は自衛隊出身であり、被告人とその所属組織とを反共の立場から憎悪し、被告人を犯人に仕立て上げようとしていたものであり、「犯人は話した後、唇を横に引っ張るというような口の結び方をする癖があった」などと供述する点は、面通し後のものであり、ほくろに関する供述も色、形、位置が被告人とは異なっており、〈2〉澤田ら四名の乗務員の供述の挙げるリーダー格の犯人の特徴は極めて一般的であり、被告人と同一人物とすることはできず、〈3〉ガブリエルがリーダー格の犯人に処刑されると言われたのであれば、その顔は二度と忘れないはずであるから、いずれも信用できないなどと主張する。

しかしながら、〈1〉については、澤田が元自衛隊に勤務していたからといって、ことさら被告人を犯人に仕立て上げる理由は見いだし難いこと、澤田がリーダー格の犯人について、「しゃべった後に口を横に引っ張る結び方をする、笑ったり、しゃべったりしたあとに唇の端を外の方にぐっと伸ばす」と供述している点は、ドバイ事件の乗客の丹羽通子(甲三七四)が「今見た甲野はよく笑っていたが、たまに口を結んだときなど日本人犯人と似ていた」と供述し、また、被告人の父親が身柄拘束時の被告人が口を横に伸ばした表情の写真を見て被告人に似ていると表現し、被告人の両親が面通し後に「ニッコリ笑った顔は太郎に間違いありません。」と供述しているところと符合しているのであって、犯行時の動きのある表情の特徴を記憶していたものとして十分信用できること、ほくろの色や位置等についての澤田の供述は、その「燃えよ剣下巻」七五頁における同人の書き込みのみならず、被告人の左耳下付近の黒子を撮影した星野希一郎の供述及び同人撮影の写真(甲二一九)とも合致していると認められること、〈2〉については、乗務員の挙げるリーダー格の犯人の特徴は、個々的にみれば一般的といえなくもないが、顔全体、眉、目、顎等についてそれぞれ特徴を挙げ、それが各人相互間で一致していること、〈3〉についても、ガブリエルの供述が事件から三か月ほどしてからのもので、客席から犯人らに無理矢理操縦室に連れて来られ、拳銃を突き付けられて管制塔と交信するなどし、遂には処刑するなどと脅されて失神した状況等を考慮すれば、リーダー格の犯人を凝視し得る心理状態になかったというべきで、その容貌を特定しなかったことからリーダー格の犯人が被告人ではないことを意味するとはいえず、むしろガブリエルの挙げるリーダー格の犯人の特徴が他の者の供述と整合するものであること、からすると、所論は理由がない。

以上のとおり、リーダー格の犯人は被告人であると認められるのであって、原判決に所論のいう事実の誤認は認められず、論旨は理由がない。

第六  旅券法違反の事実誤認等の主張について

所論は、要するに、原判決は原判示第三の事実について被告人を有罪であると認定したが、日本政府は被告人がテルアビブ空港事件の関係者でないことを十分知悉していたにもかかわらず、被告人に対して昭和四七年六月ころに同事件関係者であるとして旅券の失効、返納命令を発し、同年一〇月ころ共同正犯として逮捕状が発付されて所在確認のための国際手配をし、さらにドバイ事件、ダッカ事件についても国際手配したために、被告人は合法的に帰国する途を断たれ、帰国するためには自己の氏名を偽って帰国するしか方法がなく、本件行為は、国家によって不当に奪われた帰国する権利を回復するために被告人に残された唯一の手段であって、そこには違法性及び期待可能性がなく、被告人は無罪であるから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるなどと主張する。

しかしながら、その主張するとおりテルアビブ空港事件の関係者であるとして日本政府が被告人の旅券の失効、返納命令を発したとしても、そのことから直ちに合法的に帰国する途を断たれたとはいえず、またドバイ事件やダッカ事件についての国際手配はこれまで検討してきたところによれば当然適法であるうえ、被告人がこれにより合法的に帰国する途を断たれたともいえないから、所論は理由がない。

第七  量刑不当の主張について

所論は、要するに、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

記録によれば、本件は、原判決が「犯罪事実」の項において判示するとおり、被告人が、ほか数名と共謀のうえ、ドバイ事件及びダッカ事件の二件のハイジャック事件に実行正犯として関与し、さらに不正に他人名義の旅券を取得してこれを四回にわたり使用した、という事案である。

ハイジャック事件は、前記第三のとおり、乗客及び乗務員に多大の精神的肉体的苦痛をもたらし、航空会社の業務や財産権を侵害し、航空の安全に対する信頼を失わせる危険かつ悪質な犯罪であるうえ、乗客や乗務員を人質に取られて事態の推移によっては航空機の墜落や爆発等を招きかねない危険性があることを憂慮せざるを得ない関係国や航空会社に対し、多額の金員の提供や受刑者の釈放等の不法な要求を突き付けてこれに応じさせ、多額の財産的損害をもたらし社会秩序を混乱させる結果を生じさせるもので、厳しい社会的非難に値する。

本件二件のハイジャック事件の動機は、日本赤軍に所属する被告人が、自らの主義主張に基づく目的のため、それと全く関係のない多数の人々を人質にして敢行した組織的かつ計画的な犯行であり、目的のために手段を選ばないという極めて自己中心的な犯行であって、酌量の余地がない。

所論は、同旨の原判決について、日本赤軍が本件二件のハイジャック事件を決行せざるを得なかった事情を非難し、日本赤軍及び被告人を思想により重刑をもって非難していると主張するが、原判決は日本赤軍に所属していると自ら述べている被告人らの政治的信条等を取り上げて非難しているのではなく、その政治目的実現と称して犯罪行為としかいいようのない本件各ハイジャックを実行したことを非難しているのであって、所論は理由がない。

犯行の態様も、原判決が的確に判示するところであって、被告人ら犯人は、あらかじめ準備していた拳銃、手りゅう弾等を用いて乗客及び乗務員に暴行脅迫を加えてその反抗を抑圧し、ドバイ事件では一一八名の一般乗客と二二名の乗務員の搭乗した旅客機を約八七時間、ダッカ事件では一三七名の一般乗客と一四名の乗務員の搭乗した旅客機を約一四二時間もの長時間にわたって乗っ取り、途中で一部乗客等を解放したものの、予定外の遠隔地で乗客及び乗務員を狭く劣悪な環境となった航空機内に閉じ込め、その行動を逐一制約し、不法な要求を日本政府や駐機中の諸外国政府機関や飛行場関係者に繰り返したもので、危険かつ悪質なハイジャック事件の典型である。被告人は、ドバイ事件ばかりかダッカ事件にもかかわり、ダッカ事件では実行犯の中で重要な役割を担当した。この間の乗客及び乗務員の不安、苦痛は多大なものがあり、特にダッカ事件では乗客の一名であるガブリエルに処刑すると宣告して拳銃を突き付けながら管制塔との交渉に当たらせるなどして同人を遂には失神させるという極限の恐怖感を与え、ドバイ事件及びダッカ事件の両機長は帰国後長期にわたり体調を崩しており、そのほか乗客らの安否を気遣う関係者の焦慮も大きく、これらの精神的、肉体的苦痛は甚だしいものがある。財産的損害としても、ドバイ事件では帳簿価格約六〇億円の航空機が犯人らに爆破され、ダッカ事件では日本政府から六〇〇万米ドルが支払われ、その他両事件の解決のために日本政府、日本航空及び関係諸国に多額の財産的負担を強いたもので、その損害は莫大である。また、ダッカ事件では、受刑者や勾留中の刑事被告人六名を釈放せざるを得ない結果となり、刑事司法及び行刑秩序の根幹に影響を与えており、両事件の与えた社会的影響も大きかった。

旅券法違反についても、原判示のとおり計画的で他者を犯行に巻き込み、巧妙に不正旅券を取得して使用した。このような被告人の刑事責任は極めて重大であるといわざるを得ない。

そうすると、ハイジャック事件では乗客及び乗務員を全員解放したこと、被告人がハイジャック闘争を現在では誤りであったとしていること、前科前歴のないことなどの被告人のために有利な諸事情を十分に考慮しても、原判決の量刑は、やむを得ないもので、重過ぎて不当とはいえない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、平成七年法律第九一号による改正前の刑法二一条を適用して、当審における未決勾留日数中六〇〇日を原判決の刑に算入し、当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項ただし書により被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林充 裁判官 山田利夫 裁判官 多和田隆史)

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